発生由来の差

一度靖国思想や靖国神社を離れて、「宗教とは何か?」「宗教と他の者との関係は如何に有るべきか?」 と言う視点から、叩き台として私見を述べさせて頂きます。 

(あくまで実例への投影として靖国は出すかも)カーシェアリング 札幌実際には二軸の空間の中で3つ(a,b,c)の軸に直行させた軸に「理念」「願望」「解消」「補填」などが割り付けられている図式をイメージしています。  
すなわち、a,b,cの発生由来の差においてだけでも、「理念」「願望」「解消」「補填」などの重み付けや内容が変わり、縦軸にこれらを取れば、「発生 要因だけでも宗教の内容が変わる」。
と言う感じです。 
これは端的に言えばキリスト教国でのキリスト教の差異のようなものがイメージです。自 然宗教に近いローマンカトリックと旧約聖書、市民活動と結びついているプロテスタントと新約聖書だけでも結構差異や確執が起きていることは・・・単に宗教 観の違いだけでなく、宗教に拠る社会の支配への確執とも、逆に宗教を利用した社会支配の相互確執とも・・・ どちらとも言えない気がします。